五月公演は久し振りの二役遣います。その4「師匠に少しでも近づきたい」
さてこの久松、
先代の清十郎師匠が素晴らしかったです。
ただ姿勢良く、行儀良く
と云うだけではなく、
動きに前髪の柔らかさ、色気があります。
それでいて、けして女形にはならない。
これは、大変に難しい事なのです。

そして、師匠の人形には、
温かさが溢れています。
野崎村で、
お光の母親が咳き込むのを、介抱する所があります。
ほんの僅かな場面、
ところが師匠が遣うと、
背中を撫でる手、抱き起こす指先ひとつにも、
優しさがこもっているのです。
改めて、師匠の愛情たっぷりの人柄を、感じました。

こんな所は、真似できませんが、
姿勢の良さに加えて、
久松の若男としての色気は、
女形を修行してきた師匠ならでは。
少しでも近づきたい、その一心で励みます。
お手本、目標があるというのは、
とっても有り難い事です。

さて最後に、トリビアを一つ。
油屋の段で、久三の小助が茶屋遊びの後、
朝帰りをします。
そこの所が、
「仮名手本忠臣蔵」九段目「山科閑居」の段の端場、
通称「雪転し」で、
由良助が一力茶屋から朝帰りする時の、
パロディになっているのです。

原文では
「風雅でもなく 洒落でなく しょうことなしの山科に」という所、
油屋では
「木綿でもなく 絹でなく しょうことなしの山繭紬」となっていて、
それ以降、しばらくの間は、節付けも全く同じ。
つまりは、
忠臣蔵がそれだけ流行ったという事でしょう。

文楽ではあちこちに、こんな風な有名狂言のパロディ、
いわゆる「もじり」が登場します。
耳慣れ、聞きなれて行く程に、
「あっ!あれ聞いた事がある」
という気付きが増えて、
楽しみが益々深まって行く、
これが古典芸能の、醍醐味かも知れません。

今回の公演は、金閣寺の迫り上がりや、
野崎村の小道具など、トリビアたっぷり。
また折々、ご紹介して行きたい(願望に終わるかもしれませんが)、
と思います。
今回の五月公演、東京には珍しく、
平日でしたら、まだお席があるようです。
是非またお誘い合わせの上、
御来場賜りますよう、
宜しくお願い申し上げます。

豊松清十郎

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[2010/05/10 10:40] | なまけず一所懸命 | トラックバック(0) | page top
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