そして、最後に。 千秋楽まで、辿りつけたのは、 何もかも、簑助師匠のお陰でした。 私にとって、ほぼ初めての傾城かしら。 しかも、師匠と競演させて戴くと言う事で、 さぞかし稽古から、色々と教えて戴ける物と、 思っていました。 ところが今回、楽屋では宮城野について、 一言も仰いませんでした。 そう、言葉では。 始めは、こちらも必死で、 分かりませんでした。 なぜあそこで、ここまで来ないのだろう。 どうして、ここで動かしてくれないのだろうと。 何日か過ぎて、やっと分かりました。 毎日の舞台で、 真剣勝負のその中で、 言葉ではなく遣いの中で、 全てを教えて下さったのです。 例えば、私の立ち位置が、 お芝居の中で違っていると、 師匠は近寄ってきて、下さいません。 姉妹とは言え、 年月を隔てた二人、 始めから距離が、近すぎてはいけない、 段々に間合いが、縮まって行かねば。 かと言って、それにとらわれ過ぎると、 舞台のどこで芝居をするかを、忘れてしまう。 そのバランスも、考えないと。 昨日まで、ずっと離れた所にいたのが、 こちらがしっかり考えて、 ここだという所に行くと、 嘘の様に、スッと近寄って下さる。 これじゃまるで、「淀五郎」ですね。 豊松清十郎 豊松清十郎にご声援を!
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