宮城野に挑みます。大切な、一里塚として。(四月公演の役への思い・其の4)
今思えば、
人形を持つ構えも
何もあらばこそ、
力に任せて、ただ無暗矢鱈に
振り回していたのでしょう。

あれから、二十年。
また再び、宮城野を遣わせて
戴くにあたって、
考える事は、ただ一つ。
千秋楽まで、持っていられるか。
あの時を、思い出すと、
太夫としての、貫禄がどうの、
妹を思う、姉の心情がこうの、なんて、
とてもとても、おこがましくて申せません。

望みが低い様ですが、
思いは必ずしも、
それだけではありません。

前回の失敗は、理に叶った持ち方が、
出来ていなかったから。
玉男師匠が、よく仰っいました。
「人形は、腰で持つんや」と。
自分の姿勢を正しく、人形の重さを、
素直に背骨で、支えていれば、
重い人形も、持ち堪えられる、と。

10分も持つと、直ぐに手首や肩が、
悲鳴を上げていた、私ですが、
この所少し、師匠のお言葉が
感覚として、掴めてきたような。
この感触は、正しかったのか。
ここまで積み上げてきた、
自分なりのセオリーは、
果たして、宮城野に通用するのか。

この先、まだまだ続く修行の道の、
一里塚、道しるべとして、
今回の宮城野は、人形を遣う技術、
その基本という所に、
焦点を当ててみたいと、思っています。

思えば、こんな自分勝手な事を
言い出せるのも、
簑助師匠が、おのぶを遣われるからこそ。
師匠が遣えば、お芝居の部分は、それで十分。
こちらは兎に角、まっすぐ持ってさえいれば、
あとは師匠お一人の芸力で、舞台は成り立つ。
そんな風に、思ったのかも知れません。
すみません、お師匠はん。
いつも、甘えてばかりで。

大役を戴き、
師匠と共演させて戴く、
その有難さを、しっかりと胸に刻んで、
宮城野に挑みます。
大切な、一里塚として。

豊松清十郎

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[2011/04/04 13:00] | あきらめず文楽一途 | トラックバック(0) | page top
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