宮城野には、苦い思い出があります。(四月公演の役への思い・其の3)
続いて夜の部は、宮城野を。

この宮城野は、
阿古屋、夕霧などと同じく、
傾城がしらで演じます。

この首<かしら>特有の、
立兵庫という大振りの髪型に、
櫛、簪<かんざし>、笄<こうがい>で、
これでもかとばかり、
満艦飾に飾り立てたせいで、
一見した所、小さく見えますが、
実は女形で、一番大きな首。

衣裳も、それに見合った、
豪華な物。
打掛け、着付け、前帯には、
豪奢な刺繍を施し、
裾は、通常の二枚にもう一枚加えた、
三枚ふき。
何もかも全てが、絢爛豪華。
何もかも全てが、規格外。
そして、大きく・・・
重いのです。

重い・・・
そう、この宮城野には、
苦い思い出があります。

実はこの宮城野、遣うのは
初めてではありません。
昭和63年、研修生の発表会と共に、
「既成者研修」という形で、
私も、出演させて戴きました。

その時の外題が、
「新吉原揚屋」で、
私は、宮城野の役を戴いたのです。

因みに、
その時の研修は、12期。
研修生には、
紋臣、團吾、喜一朗の、
三名がおりました。

直前の公演で、宮城野をお遣いになったのが、
文雀師匠。
普通、本公演で使用中の人形には、
触らせても貰えないのですが、
どんな人形なのか、皆目見当もつかず、
気もそぞろの私を、不憫に思われたのか、
「稽古したかったら、持ってもええで」
と、師匠の方から、
声を掛けて下さったのです。

思いも掛けぬお言葉に、
欣喜雀躍、
ただもう一心に、毎日持っておりました。
途中から、違和感は感じたのですが、
無理をして、稽古を続けるうち、
明日は本番、という時になって、
とうとう手首が、悲鳴を上げました。

その頃発売されたばかりの、
インドメタシン配合の、塗り薬で、
何とか当日は、勤め上げましたが、
持っているだけが、精一杯。
その時の、辛い思い出と共に、
傾城首の感触も、きれいさっぱり、
忘却の彼方に。
何を、どう遣ったのやら、
今でも何も、思い出せません。

豊松清十郎

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[2011/04/03 18:00] | あきらめず文楽一途 | トラックバック(0) | page top
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